第50回一期一会の基本情報
開催日時 | 2018年2月3日(土)午前10時30分 開始 |
---|---|
開催場所 | 銀座交詢社 10F会議室 |
講演者 | 伊東 俊彦 氏 元東北大学大学院 教授 |
講演テーマ | もうひとつの人生「教わりお教えすることから変わる人生」 |
講師紹介
氏名 | 伊東 俊彦 氏 |
---|---|
講師略歴 |
1946年2月 誕生、東京都世田谷区 1964年3月 東京都立青山高等学校:卒業 1965年4月 武蔵工業大学電気通信工学科:入学 1969年3月 武蔵工業大学電気通信工学科:卒業 1969年4月 日本NCR:入社(CE、テクニカルアシスタント・リーダーなど) 1983年7月 日本DEC:入社(教育部リーダー、マネージャなど) 1998年7月 日本DEC:退社(企業合併) 1998年7月 コンパックコンピュータ(ジャパン):入社(システム統括本部コンサルティング部) 1999年3月 コンパックコンピュータ(ジャパン):退社 1999年4月 学習院大学経済学部:特別客員教授(経営情報関連科目)⇒2003年退任 1999年4月 青山学院大学大学院国際政治経済学研究科(MBA):入学 2001年3月 青山学院大学大学院国際政治経済学研究科(MBA):修了(経営学修士) 2001年4月 横浜国立大学大学院国際社会科学研究科博士後期課程:入学 2003年3月 学習院大学経済学部:退任 2003年4月 愛知淑徳大学コミュニケーション学部:教授(経営・情報関連科目) 2004年3月 横浜国立大学大学院国際社会科学研究科博士後期課程:修了(経営学博士) 2005年3月 愛知淑徳大学ビジネス学部:退任 2005年4月 東北大学大学院経済学研究科:教授(情報システム関連科目担当) 2009年3月 東北大学大学院経済学研究科:退任 |
講師紹介 |
一期一会の会を創設してから十余年、今回で50回になります。ここまで長い間この回をサポートして下さったメンバーの皆様に心から御礼申し上げます。私は代表世話人を務めている 鈴木です。 馬齢を重ねる事幾年月、達人の域は遥かかなたで望むべくもありません。しかし、この小さな集まりが多くの方に受け入れられ、喜んでいただいていること自体が私の喜びにもなっております。 今年もあわただしく過ぎていきまた一つ齢を重ねる、凡人としては小さな日々の暮らしに喜びを見出し、若者の予想外の活躍に歓喜の声を上げ、人の一生とは何か、望ましい生き方とは何か、といった事に思いをはせています 。 そのような時に出会ったのが今回の講師である伊東さんです 。 今の流行り言葉でいえば “二刀流“ とでもいうのでしょうか。大変興味深い人生を歩んでこられている人であります。 初対面での印象は、飄々としていて端正な物腰ながら、モノにこだわらない御性格かと拝見しました。 普通は一つの事でも一流になるのは難しく、大部分の方は仕事としては一つの事を選び、その仕事で経験を積んで、収入を得て、家族を養い、会社で重責を担って、定年に至るのでありましょう。 近頃、”二刀流”というのは野球の大谷選手の代名詞のようになっていますが、伊東さんを知って、昔から世間の常識にこだわらずやりたい事をいくつもやってきて、その両方をほぼ成功させた、まさに”二刀流”と呼ぶにふさわしい男がいることを知ったのです。 若い人で自分の好きなことが複数あり、どれをあきらめるかで悩んでいる人には伊東さんの話から大きな励ましとヒントが得られるのではないかと思われます。 これは誰にでも出来る事ではありませんし一般的にはお勧めできませんが、成功させればとても素晴らしく楽しい人生が経験できるのではないでしょうか。 また中高年の方で今になってやりたいことが見つかったがもう歳だから無理だと諦めている方にも“いくつになっても挑戦は出来るし成功の可能性も有る”という事を教えてくれるのではないでしょうか。 第50回一期一会に相応しい講師をお迎えできたと考えています。 伊東さんの生き方については、職歴・経歴をご参考にされると良くわかるのですが、都立青山高等学校を卒業後、武蔵工業大学工学部電気通信工学科に入学。また、入学と同時に珠算塾の先生を始めていらっしゃいます。在学中4年間、この珠算塾で塾長代行として、先生をしておられます。さらにご趣味のダンスの倶楽部を発展させ、近くにあった東横学園短期大学のダンス倶楽部の指導と練習に明け暮れ、ここで知り合った女性、今の奥様と結婚されたそうです。 学業も優秀で、活発な青年であったことが窺えます。 大学を卒業後NCR社に就職。その後、日本DEC社、コンパックコンピュータージャパン社と米国系で当時その世界でのトップ企業でCEや企業向け経営コンサルタントとして技術や経験を積んでこられたようです。53歳でコンパックコンピューター社を退職されるまで、業界では名の知れたコンピューターメーカーの経営コンサルタントとしてご活躍されてきました。 このような方のキャリアとしては 1.社内で実績を積み管理職として地位を上げていく 2.クライエント企業に転職する 3.コンサルテイング企業に転職する 4.独立してコンサルタントを始める というのが能力の高いコンサルタントの方の成功率の高い転職手順であります。 ところが伊東さんは全く別の事を考えていたのでしょう。 ご本人の言葉によれば、経営学の研究に目覚めたそうです。 53歳と言う人生で一番高い収入を得ている時期に会社を辞め、学費を支払う学生になる道を選ぶのです。 最も53歳から学習院大学の経済学部で特別客員教授に就任されたのでそれまでの半分以下の収入は有ったのでしょうか。 辞めると同時に青山学院大学のMBAに入学し、2年でMBA修士取得し、すぐに横浜国立大学後期博士課程入学。3年後、博士課程を修了され経営学博士の称号を取られています。 また 4年後の57歳には愛知淑徳大学の教授に就任されているので、ここからは収入も安定されたのでしょう。 しかし、学習院大学の任期は4年間と限られた中で勉学にいそしまれた訳でしょうからご本人も奥様も大変だったと思います。 また、55歳を超えてからの博士論文作成や期末試験は大変だったと推察されます。 そして59歳で名門 東北大学の大学院教授に就任されるのです。 東北大学の退職年齢は63歳ですので、4年間教授として勤められたという事だと思います。 この間講師などで教鞭をとられた大学は、日本電子専門学校、学習院大学、中央大学、専修大学、早稲田大学、愛知淑徳大学、城西国際大学大学院、放送大学、玉川大学、関東学院大学、桜美林大学、跡見学園女子大学、電気通信大学、小山高専専攻科等があり、企業に勤めながら、また大学に行きながら、多くの大学で”二刀流”を目指し人生を送ってこられた事が分かります。 さらに70歳を超えた現在でも学会の研究会の幹事の任にあり、ダンスの倶楽部に所属しダンスのホームページ制作を担当しておられるという事です。 やりたいことをやり、自分を向上させ、自分のやっているすべての分野で一流をめざし苦労を楽しみに変え人生を送ってきた、そのような男の話であります。 工学部卒業の若者が、異分野である経営学に強い興味を覚えるようになり、職業人人生の後半である53歳から大学院に行き勉強して、博士の資格を取り我が国を代表する大学の大学院で教授を務められるという、大学人としても“一流”、コンピューター技術者としても”一流“という”二刀流”人生を成功させた人物の経験談をお話ししていただきます。 “二刀流”を志す若者や中年の方に幾つもの示唆が有ると思います。また、大きな励みになると思います。 沢山の方のご参加を期待しております。 一期一会 代表世話人 鈴木 威一 |